こんにちは、tomoeagle (Instagram)です。
5月の半ばに4泊5日でボスニア・ヘルツェゴビナに行ってきました\(⌒ ͜ ⌒)/
個人的声に出して読みたい国名ナンバー1のボスニア・ヘルツェゴビナ(その後はアゼルバイジャン、エルサルバドルと続きます)ですが、あまり知られていない国でもありますので、さらっと国の事晒し上げるな!
ボスニア・ヘルツェゴビナ
Bosna i Hercegovina
東南ヨーロッパのバルカン半島にある共和制国家で、人口は約310万人。その数SMAPの世界に一つだけの花の売上枚数とほぼ同じという事で、国民全員がジャニオタ状態、そんな国となっております。花屋の店先状態\(⌒ ͜ ⌒)/
国土は51,209 km²で日本の約1/7のサイズ、九州と四国を合わせたくらいの大きさだそうです。
旧ユーゴスラビアから1992年に独立を宣言して一国となったボスニア・ヘルツェゴビナ、そうなってくるとわしよりもずっと後輩にあたりますので先輩風吹かしていきたいと思います。終始タメ語、国民全員後輩。
それでは出発です!
ロンドンからボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボには飛行機で約2時間半。
夕方17時出発の飛行機だったので、朝9時に空港に到着しパソコンかき鳴らしがっつりお仕事させて頂きました。
ちなみにルートン空港は出発3時間前からしか中入れてくれないけど、スタンステッド空港はいくらでも前から入れてくれます(智ちゃんのロンドン空港お役立ちプチ情報☆彡)


そんなこんなでサラエボに到着したのはもう21時をまわっていたので、この日は空港のATMでお金を下ろし、タクシーに乗ってエアビーまで向かいました。たしかタクシー10兌換マルク(850円)。←何やねんこの通貨の単位\(⌒ ͜ ⌒)/
サラエボ
Sarajevo
この日は日曜日だったのでお店もほとんど閉まっていたため、軽くトラムに乗って散歩だけしました。

1992年に旧ユーゴスラビアからの独立を宣言したことで勃発したボスニア紛争の爪痕が今も色濃く残るサラエボ。
建物には銃痕が沢山残っていたり、

砲弾によって死者を出した爆発の跡に赤い樹脂を埋めた通称サラエボローズが街の至る所にありました。

そして紛争時に埋設された地雷がいまだに国土の2.4%、約17万個埋まっているらしく、人が歩いた形跡がある所以外は歩いちゃいけないし、どくろマークのサインが掲げられた立ち入り禁止エリアが沢山あるんだそう。
二日目!

重そうで参っちゃってる\(⌒ ͜ ⌒)/

エアビー近くにあった通信会社ERONETにてSIMカードを購入し (確か1か月有効10GBで10兌換マルク(850円)だった記憶)、朝食を食べに行きました。
Aščinica Stari Grad
Mula Mustafe Bašeskije 57, Sarajevo 71000 ボスニア・ヘルツェゴビナ

出来合いの料理を指さして盛り付けてもらう、いわばボスニア・ヘルツェゴビナの小料理屋さん。

それにしてもテーブルの配置独特~\(⌒ ͜ ⌒)/


テーブルの角邪魔~\(⌒ ͜ ⌒)/今気づいたけど椅子のカバー、着物の絞りみたいでお洒落~。
わしはここでは何かしらのお肉と、パプリカの中に何かしらのお肉が詰め込まれたものと、ズッキーニの中に何かしらのお肉が詰め込まれたものを頂きました。



バルカン半島ってお野菜に肉詰め込むの好きよな\(⌒ ͜ ⌒)/これで全部でたしか12兌換マルク(1000円)くらいしたんじゃなかったかな。だから他のバルカン半島諸国に比べて物価はわりかし高め(自分が行った中でいっちゃん安かったのは断トツコソボ)
ここのパン信じられないくらいモチモチでほぼ餅\(⌒ ͜ ⌒)/
その後向かうは今回の旅の一番の目的地、廃墟 (廃墟かい\(⌒ ͜ ⌒)/)
サラエボでは1984年に冬のオリンピックが開催され、その後のボスニア紛争で大半の競技施設が破壊されたものの、まだ多くの競技場が今も放置され廃墟となって点在しているという事でそうなってくると行くじゃんね。
まずはサラエボ市内からトラムに乗ってIlidžaという街まで行き、そこからタクシーを拾いました。ボスニアはタクシーが全然安くなさそうだったので、なるだけ公共交通機関で行けるところまで行って、そこからタクシー捕まえる作戦です。
Ilidža
ここから約1時間ほどの所にある標高1510メートルのイグマン山まで行き、そこに点在する2つの廃墟に止まってもらってまた戻ってくるプラン、こちら80兌換マルク(7000円)で交渉成立\(⌒ ͜ ⌒)/


タクシーの運転手のおっちゃん、終始何言ってるかわからなかったけど凄い明るい人で廃墟に行くにはとっても心強いパートナーとなりました。
途中にはオリンピックのシンボルも発見。

そして約1時間、最初の目的地に到着です。
Olympic Hotel Igman
ホテルイグマン

ホテルイグマンはオリンピック選手村の一部で、スキージャンプやアルペンスキーの選手たちの宿泊施設として建てられ、その後のボスニア紛争時には刑務所と処刑場として利用されていたのだとか。

山の中腹にぽつんと建ってる廃墟ってだけで怖えのに、歴史も怖えし、そして何より地雷が怖ええ。







ただ正面玄関に行くとそこには走り屋が溜まっていたのでラッキーチャンス、一人だったら怖くて中入れなかったけど、人がいる安心感で中も見る事ができました\(⌒ ͜ ⌒)/走り屋グッジョブすぎ走れ走れ~\(⌒ ͜ ⌒)/






そしてその後は次の廃墟に行くのですが、少しばかり長くなったので続きはまた次回のブログに書いていきます。
以上だあばよ~。
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